通信販売の法規(特定商取引に関する法)に基づく表示

高知県土佐町相川の「源流米」
カタログ“1998年10月3週”
「源流米」新米登場です。
 源流米は、1992年に下記の朝日新聞の紹介どおり、高知生産者連合の松林直行さんとオルター大阪の代表西川栄郎が言い出しっぺとなって、始めた有機米運動です。
 吉野川の上流から農薬や合成洗剤をなくしていくことも大きなテーマです。土佐町相川は、標高500mにある、昼夜の温度差15℃と大きく昔から高知県内一のおいしい相川米として知られています。田んぼに引く水は原生林から流れ出す水で、そのまま灌漑の水を飲めるくらいです。
源流米生産者のみなさん
 源流米の生産者は、長野進、式地寛肇、式地健一、式地佳信、式地源、式地利彦、式地博士、式地登志喜、池添守、池添公博、池添博喜、沢田頼貞、沢田雅元、沢田健次、沢田清広、沢田清敏、沢田忠、川井政徳、藤原正明、田岡健司、式地尚一の皆さんで、現在21名で取り組んでいます。
 今年の米の品種は、ヒノヒカリ、コガネニシキ、アキタコマチ、コシヒカリです。
 作り方は式地寛肇、式地尚一、長野進グループ(3人)の5人が田んぼの一部分を無農薬で、その他の生産者は除草剤1回の低農薬米です。出荷は源流米として混米します。

1992年9月23日朝日新聞記事より転載
◇川が結んだコメ産直
吉野川源流域の高知県土佐町の米生産者グループと、下流の徳島、香川両県の消費者グループなどが、「源流米」と名付けた減農薬米の産地直送を近く始める。減反反対の農家と、安全でおいしい米を食べたい消費者が手を結ぶ「産直」が全国に広まる中、吉野川
水系を汚染しない、ということで協力する試みだ。全国の消費者グループなどがこのほど土佐町に集まり、米問題を話し合った。
◇水と米共に守る試み(生産者らが土佐町で交流)
 土佐町相川地区の農家三、四人が集まり、約五年前、「土佐町相川源流米生産グループ」(式地寛肇代表)を結成した。現在は二十人に増え、水田約十fで源流域のそのまま飲めるきれいな水でかんがいし、除草剤は一回しか使わないでコシヒカリやアキタコマチなど六種類の米を栽培している。吉野川流域で最も上流に位置する米作地帯のため、「源流米」と名付けた。
 同生産者グループと、徳島市の「生協ふれあいコープ徳島」が中心になって、初めて交流の場を企画した.集いは「キャンプin吉野川源流」と名付けられ、高知見生産者連合や、十一月の設立を目指す香川県の生協オリーブコープ設立発起人会、米の産直などに取り組んでいる全国的な市民団体「提携米アクション・ネットワーク」(事務局・千葉県市川市)が主催に加わった。
 日程は二日間。初日は相川地区の水田を見学したあと、全国各地からの参加者約百二十人が町農協相川支所で意見交換し、減反など米をめぐる問題を話し合った。
 生協ふれあいコープ徳島組合員で主婦の山城テル子さんは「源流米を川の汚れや環境の問題を考える手がかりにしたい」と発言。
 「米の自給を守り食管を問い直す会」の橋本明子さん=茨城県在住=は米を輸出向けの商品と位置づけるアメリカや、後継者不足などに悩むタイのコメ生産農家の様子を報告するとともに、収穫後の農産物に農薬を散布するポスト・ハーベスト反対を強く訴えた.
 減反拒否の「自由米」生産・出荷をしている秋田県大潟村の黒瀬正さんは減反問題に触れ、「天候に左右される農産物を計画生産するのは無理。旧ソ連で食糧の不足をもたらしたようにどこかにひずみがくる」と強調し、「減反は単なる行政指導。多くの農家は文句を言いながらなぜ従ってきたのか。そこを変えなければいけない」と農家の自立を呼びかけた。
 地元の源流米生産者からは「自由化や後継者不足などで見通しが暗い農業をやめようという気持ちもあったが、皆さんの話を聞いていると勇気が出る」という声が上がった。
 今回の仕掛け人の一人である生協ふれあいコープ徳島の西川栄郎専務理事は「山間の一農村が安全な食糧を消費者に直接届けていくというこの試みはこれからの農業の一つの提案だ」と話す。
 源流米の生産者グループは、この秋、約60dの収穫を見込んでいる。集いに参加した各グループやネットワークと話し合い、今後、消費者に直接米を譲渡できる「特別栽培米」などの方式で販路を拡大することにしている。


         −文責 西川栄郎−


戻る