通信販売の法規(特定商取引に関する法)に基づく表示

無茶々園(みかんの生産者)30周年の記念式典
通信873号記事
片山元治・元代表のあいさつ 〈 2005年4月3日 〉 
 無茶々園30周年を迎えるに当たって、地元西予市長さんをはじめ、全国からも多くの皆様にご参集頂き、盛大に記念式典を開催できることを心よりお礼申し上げます。健康で環境に優しい食べ物の生産を通して町作りに取り組むという基本理念を掲げ、田舎のテンポな青年農業者が集まって始めた無茶々園。いつの間にやら白髪交じりの頭になっておりました。
 
式典参加者たち
 無茶々園を始めるきっかけを作ってくださった伊予市の自然農法家の福岡正信恩師、楽しい村作りを教えていただいた農村研究家の安達生恒先生、八百屋の神様、東京の親父、江沢正平トッタン、正体は良く分からないが、生食の基本を教えていただいた、広沢太郎べい氏、「諸君が始めた農業はかならず歴史に残る。胸を張って頑張りなさい」と名言を残してくださった龍谷大学元学長の吉岡金市先生、生産者と消費者のつながりを教えていただいた日本有機農業研究会の一楽照雄恩師、農業の技術を自然の摂理から学ばしてもらった内水先生とBM協会関係で出会った皆さん。その他多くの恩師に恵まれ井の中の蛙達は、時代の流れに翻弄されながらも気が付けば30年初心ぶれることなくここまでやって来ました。多くの出会いに感謝しているところです。
素晴らしい出会い そして 深刻な現代
  見てくれの悪い無茶々園の蜜柑はクズ蜜柑、加工用にしか認めてもらえない時代もありました、やっと理解をして食べてもらう消費者に巡り会えた時代。売る買うを超えた消費者との付き合いに巡り会えた事は私達の生き方を根底から覆す素晴らしい出会いでした。
 そして、異常気象が当たり前になってきた時代。また、化学汚染が遺伝子レベルにまで深刻になりつつある時代。有機農業は私達が始めた時代と比較にならないほど困難な時代に入ったといわざるを得ません。その深刻さは食糧不足などの問題を越え、文明の発展の副作用として人類の存亡を賭けた問題にまで深刻化しようとしています。
写真中央:無茶茶園片山元治さん 左:米沢郷・伊藤幸吉さん 右:西川代表 
第一世代から第二世代へ
 そして、時代はグローバル化の中で「食べ物の商品化との戦い」の時代。アジアンテースト(アジアンフードカルチャー)との連帯の時代へと変化しようとしています.
 ソフトバンクやライブドアなど新しいヴェンチャーが経済の実権を握ろうとしたとき、旧勢力との波乱があったように、この小さな無茶々の里でも、旧勢力との小競り合いもありました。それらも一応妥協が進み新しい一歩が踏み出せる状態になりました。西予市の農業の牽引の実権は無茶々園に移ったと確信しています。今まで、政治活動は避けてきましたが、田舎の政治活動こそが大衆運動だということにも気づきました。人心の確認のためにも政治活動が一つの重要課題と
なるでしょう。そういった意味で、旧式の年功序列的なプレッシャーがほぼ取り外ずせた、取り外し安くなり、ようやく、主義主張が自由に出来るようになったと思っています。
 農業生産に関しましては、近年異常気象に悩まされつづけている中で、昨年の異常台風は平成4年の台風19号よりさらに厳しい試練にあっています。しかしながら、生産量1,100トンあった温州みかんが350トン程度になり、皆様の心温まるご支援を受け、農家は共済年金を取り崩しながらも、宇都宮会長を中心に無茶々の里の最後の望みを15,000本の苗木に託し、改植をしている最中であります。
 過疎と後継者不足に悩まされている他地域と違い、農業分野において新しい息吹もたくさん出てきています。新規就農者も7名が自立に向って生産に励んでいます。新規就農者と若手農業者が無茶々の里の農業再生に新しい力となるでしょう。海外研修生の招聘時による農家の国際連帯も始まろうとしています。異常気象やグローバル化に負けない農業経営の実験も進んでいます。約30haの直営農場を町外に確保し出作り農業、協同労働による集団家族経営、社会的責任を持った企業経営の実験、農業の持つ多機能な機能の模索のため、ニートと呼ばれている現代社会の落ちこばれの再生実験も始まりました。
 過疎・農協の合併・自治体の合併と地方がどんどん切り捨てられている中で、私達の根城である無茶々の里のムラ作りが新しい局面を迎えようとしています。
 2級ヘルパーも120名も育て、年寄りのたまり場の家も確保しました。しかし難産でした。やっと始まりました。
 麦飯とサツマイモとカタクチイワシの煮干で育った最後の死ににくい元気な年寄りたちが動き始めました。お年寄り達の子供達とのコラボレートが見ものであります。
 事業の仕組みも、商店式経営から商社的経営に切り替えている最中であります。地域協同社会において、もう農家の独裁では事業運営は限界があります。典型が農協です。大津を中心に7人の事業執行理事の合議で事業に当たる集団体制を作りました。事業執行役員は田舎では類を見ない優秀な人材が集まっています。21世紀は都市のNPO、市民ビジネスと協同しながら、都市文化に対抗できる事業勢力の構築です。無茶々の里から世界に通用する事業を展開できると確信しています。
 30年の節目に当たって、企業の寿命もまた、30年といわれております。無茶々園もそういった面では、寿命の尽きる前に、第一世代から第二世代への移行時期と位置づけ、権限の委譲を進めてきました。
どん底からの新生無茶々園の出発
 販売する蜜柑がないというきわめて異常な経営状態の中で、農家もドン底、新生無茶々園も30年目にして初めての赤字決算が予想されております。       
  これより下のないどん底からの新生無茶々園の出発、大変厳しいものがありますが、無茶々園の若者達は必ずやり抜けるものと確信しています。輝く未来に向かっての出発です。
 本日の30年の記念も全て若者達が主体になって 無茶々園の全員の力を結集して出来たものです。今後とも、新生無茶々園を 何卒宜しくお願いいたします。


無茶々園 宇和海遠望
戻る