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フィリピン民衆自立のためのバランゴンバナナ
カタログ2011年4月2週号
深い味わいのたいへんおいしい無農薬のバナナです。


◆ネグロス島救援がきっかけ
 マスコバド糖(カタログ2009年5月3週表紙参照)の民衆貿易をきっかけに始まったネグロス島の民衆の物流会社オルター・トレード社(ATC)と日本のオルター・トレード・ジャパン(ATJ)の活動は、次にバランゴンバナナに取組むことになりました。このバランゴンバナナの輸入は、マスコバド糖と同じく飢餓に苦しむネグロス島の人々を支援するためのものでした。
 バナナについては、フィリピンからの農薬漬けのプランテーションバナナが問題となっており、市民運動の洋上サミット「ばななぼうと」で国産バナナの復活をテーマにもしてきましたが、量的確保は困難でした。安心して食べられる無農薬バナナの実現が求められていました。
 消費者運動の中で、海外からバナナを輸入することに全く議論がないわけではありませんでしたが、バランゴンバナナは、
(1)ネグロスに自然にあるもので、環境を破壊しない方法でネグロスの人々が楽に栽培できる。
(2)バランゴンバナナは、地元で消費力のあるものでなかったので、地元の人々の食生活や地域経済に悪影響を与えない。
(3)農薬漬けではないバナナとして、日本の消費者が求めている。
(4)バナナ民衆貿易として、ネグロスの人々の暮らしと日本の人々のライフスタイルの変革が期待できる。
という4点でマスコバド糖以上にインパクトのある民衆貿易のテーマになると期待され、始められました。
 まず1989年に入ってテスト輸入を開始しました。無農薬バナナは当然、まず輸送において苦労がありました。軸にカビが生えたり、実が腐って黒くなることもあって、消費者の理解が必要でした。こうした試行錯誤の末に、バランゴンバナナが定期的に日本に届けられるようになったのは、1989年末のことでした。
 バナナ民衆貿易が軌道にのって確実な現金収入が入るようになった生産者たちの生活は、大きく変わりました。お米を買えるようになり、子供たちは学校へ行けるようになりました。

◆有機農業に取り組む
 ところが、1990年11月に大型台風が一夜にしてバナナを全滅させてしまいました。生産者たちは、改めてバナナだけに頼らない栽培計画を実行しようと決心しました。しかし、何とか子供たちを学校に行かせたいと願う人々はついついバナナの本数を多く植えてしまいました。
 1993年に入って、バランゴンバナナに異変が起こりました。実がつかなくなったり、立ち枯れるバナナが増えてきたのです。たくさんのバナナが土壌の養分を吸収してしまった結果、栄養のバランスが崩れ、病害が発生してしまったのです。このことをきっかけに、環境を視野に入れた有機農業の実践が始まったのです。

◆自立のための民衆貿易事業
 1994年、バランゴン生産者協会(BGA)のメンバーは、自ら作った持続型農業計画を開始します。1995年にはネグロス民衆の自立のための農業計画PAP21計画が開始されました。1996年には、BGAは積み立てたバナナ自立基金で共同のトラックを購入し、自分たちの生産物を町の市場に運んで販売することも始めました。
 1999年2月に、バランゴンバナナの出荷が突然中断させられました。ゲリラにATCのバナナ出荷トラックが焼かれ、バナナの代金などが奪われたからでした。この事件はバナナ民衆貿易の目的に対して、別の考えを持つ人々からの防害でした。関係者全てが、これまでの活動のあり方や意識を真摯にとらえなおす機会となりました。この事件報道は、ネグロスはもとよりフィリピンの広い層の人々から民衆貿易事業が評価される結果となりました。生産者自身は自らの自立を達成するために、バナナ事業の重要性を再確認し、これまで以上に積極的に参加する形で、1999年5月にバナナ事業は再開されました。

◆フィリピン各地へバナナ栽培の拡がり
 日本で購入してくれる消費者が増えるにしたがって、パナイ島、ボホール島の農民たちとの交易も開始されました。そして、1995年10月、再度の大型台風の襲来があり、西ネグロス全体が大被害を受けました。これがきっかけで、北部ルソン島の農民たちとの出会いも生まれることになりました。
 さらにネグロス西州では、多くの元サトウキビ労働者たちが、農地改革のもと、耕す土地を手にして農場作りに取組み始めています。そうした中で、傾斜地などを利用してバランゴンバナナを栽培、出荷し、自ら農業資金を稼ぎ出すと同時に、バナナの有機栽培から農業技術も習得しようとする人々が増えています。しかし、実際には元サトウキビ畑に植えたバナナはあまりうまくいかず、結局山に戻ろうという流れになりました。
 バランゴンバナナは、公正な価格で取引きされています。生産者や作業に携わる人々にとって、安定した定期的な収入があることは暮らしにゆとりをもたらしています。バナナ代金に組み込まれている「自立資金」は、ネグロス島の人々の暮らしを作り、自然環境を守る農業、そして新しい地域社会作りの原動力になってきました。「自立資金」は1989年に50円/kgで始まり、90年には20円/kg、97年からは少しずつ減額し、2001年には役目を終え、0円となりました。
 畑を耕すカラバオ(水牛)、豆や野菜などの種子や農具、子豚や雛鶏、そして農業研修は、生産活動を始めるのに欠かせません。1本1本のバランゴンバナナが、ネグロスの農民たちの人間らしい豊かな暮らしを作り、支える力となってきたのです。


ATJのバランゴンバナナ
■栽培方法

 バランゴンバナナは、農薬も化学肥料も使わない自然の環境の中で育てられています。収穫されたバランゴンバナナは、農民の肩に担がれて運び出され、丁寧に洗浄されて、箱に詰められます。防腐剤も防カビ剤も使わずに、自然のままに送り出されています。
 生産者の家からパッキングセンター(PC)までは、必ずしも近いとは言えません。ある生産者は、山奥から2時間以上担いで下ってきます。バランゴンバナナ特有の厚い皮が、黄色い柔らかなバナナの実を傷みから守ります。バランゴンバナナについてくるかすり傷は、葉っぱが風に揺られてバナナの実についたものですが、中にはこのような運搬中についた傷もあります。生産者によって運ばれてきたバナナをATCの品質管理担当者が、傷やサイズ、熟度をチェックし、合格したものがパッキングセンター(PC)に運ばれてきます。


今年から年中、追熟したバナナをお届けします
 ある医者によるO-リングテストの結果、追熟ムロで市販の輸入バナナからの農薬が移染することがわかり、オルターでは、これまで家庭で追熟しやすい春から秋にかけては、追熟していない青いままでお届けしてきました。
 しかし、追熟ムロが専用ムロに切替わったことから(ただし、冷蔵保管時に他のバナナと同室になりますが、低温のため移染の心配は少ないと考えられます)、今年からは全て追熟したものをお届けしますので、家庭での追熟はいらなくなります。


市販のフィリピンバナナの問題点
 一般のプランテーションバナナは、木で実が大きくなるときに農薬を中に噴霧した大きなビニールの袋かけ(袋にも農薬が練り込まれている)を行い、収穫後は索道で農薬プールのある作業場まで運ばれ、そこで5kg単位に農薬の噴霧したビニール袋に入れ、箱つめされたものは、さらに船中と輸入後倉庫で箱のまま農薬燻蒸を行っています。使用されている農薬はテミク(バナナを触っても危険)、TBZ(防カビ剤)を始め26〜28種の農薬が使われ、芯まで浸み込んでいます。バナナの労働者の低賃金、危険性など犠牲の上に作られています。



―文責 西川栄郎(オルター代表)―


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