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『11月新わいわいミーティング』 ゲスト生産者「世界パン」の今井興里子さんからのメッセージ
通信898号記事
世界パンは、35周年を迎える事が出来ました。
有難うございました。
 世界パンの始まりは父が「パンを焼きます」という一言からでした。
 きっと母には何の相談もなかった事と思います。
それから父は独学でパン作りを初め、半年間は全くパンにならず片手で持つとボソッと折れてしまうような食パン。でもある日、ミキサーの回転数にヒントを見つけ、それを機にすばらしく粘りのあるパンが出来上がりました。もちろん、母の多大な協力があっての事でした。それが世界パンのスタートでした。
 1970年3月15日大阪万博の開催の日であり、私の短大卒業の年でもありました。偶然にも学校が北千里にありましたので万博の着工から開催の日までずっと見てきました。その間、頭の中ではいつも世界の料理に合うパンを作りたいとその強い思いから、世界パンと名付けました。私も結婚をし、子育てに専念をしてきましたが、18年目にして離婚、また世界パンもバブル崩壊と同時に大変な状況に陥りました。その時点で父とバトンタッチし、父が唯一残してくれた天然酵母のノウハウをもとに私のドイツパンへの取り組みを始めました。
 子育ての中で培った事、またアレルギーで悩んでおられる方々へ少しでも美味しく食べて頂けるパンへの思い、またレストラン業界の中へいかにドイツパン、フランスパンを組み込んでいけるかなど、試行錯誤しながら、パンの生地作りに専念してきました。
 1995年、長男も高校を卒業、大学を断念し、天然酵母パンへの勉強を始めました。
 基本を祖父から受け継いだとはいえ、天然酵母パンは毎日変化します。何が原因で菌が死んでしまうのか解らず、一晩菌と向き合うことも何度もあり、苦労の連続でしたが、彼にとっては頼る者もいない現実がとても良い経験となった事でしょう。その経験が、今の技術を生んできました。
 技術を認められ北海道の横山製粉が全面的に協力するということで3年前「世界パン専用粉」を特別に作って下さいました。お陰で2年前の小麦不作時も何の心配もなく、お客様へご迷惑をかけずにパンをお届け出来ました。
 パン作りをするという事は、いかに良い材料を安定して得るかという事も大きな課題ですので専用粉を作って下さった事は本当に有難い事でした。
 また、天然酵母パンは、生地作りから焼き上げまで68時間、少しの気を抜く事も出来ませんが、社員全員が一生懸命とり組んでくれている姿を見ながら私は、すばらしい社員という宝を得た事に改めて心から感謝しています。
 そしてまた、私達が天然酵母を手掛けた頃は、作れば必ず売れるという時代ではなく、良いものを作っても販売のバックアップがなければ存続する事がとても難しい時代でした。その中でオルターさんは会員さんとのパイプ役として世界パンをずっと支えてくださいました。
 ある日、パンのクレームがあり、代表自ら晩遅く私と共に会員さん宅を訪ねて下さり、パン作りの基となる酵母が、いかに自然の中で育てられるかなど話され、理解を求めて下さいました。そのような支えもあり、今日の世界パンがある事を私たちは感謝しつつこの場をお借りし、会員の皆様、また、パイプ役として長い間、見守って下さったオルターさんに御礼申し上げます。本当に有難うございます。
 昨年 私に稜太という孫が生まれました。
生後2ヶ月目、血管を閉じる大きな手術を受けました。
今は、とても元気に育っていますが、大きく元気に育ってほしいという願いを込めて、この度『稜太のパン』という野菜スティックパンを作りました。とても柔らかな甘味のあるパンで、そこに練り込んである野菜は私の父(稜太の曾祖父)が有機栽培で育てた人参、かぼちゃ、ほうれん草、スィートコーンなどです。
 小さな可愛い手でつかんでも食べ易い形にしています。是非、赤ちゃんのおやつに召し上がって下さい。
 11月13日会員様にお会い出来る日にお待ちしたいと思っています。



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