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国家機関と電力会社の重大な過ち 耐震設計の完全な破綻
オルター通信1181号 記事
(原発の危険性を考える宝塚の会ニュース No.183より転載)

 今回の福島第一原発重大事故は、津波問題も含めた耐震設計の破綻を明らかにしました。電力会社、原子力委員会、原子力安全保安院などは今回の地震・津波を「想定外、未曾有」として責任を回避しようとしています。電力会社は耐震設計の破綻を覆い隠し、浜岡原発をはじめ他の原発についても小手先の津波対策の手直しを表明しただけで、依然として原発の運転を続け、政府はこれをやすやすと容認しています。

◆今回の津波は想定外ではない
 産業技術総合研究所(産総研)は2004年から、西暦869年貞観(じょうがん)地震など三陸海岸を度々襲った津波を調べ、その成果を公表し、2010年8月の報告書で「宮城県から茨城県にかけて、巨大津波に襲われてもおかしくない」と発表していました(産総研月報No.16、日経新聞2011.3.27)。東京電力はこれらの研究結果を無視してきました。「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂(2006年)に伴う再評価(バックチェック)の中間報告(2008年3月)では「地震随伴事象(津波)については、現在解析・評価を行っている、最終報告で結果を示す予定」となっています。未だに最終報告を出さず、人々の安全を全く無視した許し難い態度を取っています。
 この中間報告を審査した原子力安全保安院は、専門家会合で出た「貞観津波を考慮すべきである」との指摘を抹殺し「安全」のお墨付きを与えました。これは原子力に関係する国家機関の重大な過ちです。

◆福島第一原発の重大事故を誘発した地震の揺れ
 今回の原発重大事故と「未曾有の津波」を関係付ける報道がもっぱらですが、地震による揺れの影響はどうだったのでしょうか。
 運転中の1、2、3号機は地震で自動停止し、同時に外部電源が全て止まりました。東電は「送電鉄塔が地震で倒れ外部電源が喪失した」としています。一旦動いた非常用ディーゼル発電機が約1時間後に停止した原因については、原子力安全保安院長・寺坂信昭氏は「大きな揺れか津波の影響か検証したい」、東電は「地震の揺れか津波の何れかが引き金になった可能性がある」としています(12日(土)朝日新聞夕刊)。
 多くの作業員が強烈な地震の揺れを感じ建物から脱出しました。数人の作業員は「強い揺れを感じた直後、電気が落ち非常灯がつき、急いで建屋外へ脱出すると、道路がえぐられ、地割れで40cmの段差が生じ、所々にある段差のため車が走れる状態ではなかった。配管の継ぎ目から水が噴き出し、グラウンドの液状化を見た」と証言しています。
 これは中越沖地震の際に東電・柏崎刈羽原発で重大事故に発展しかねなかった状況と類似しています(原発老朽化問題研究会編「まるで原発などないかのように−地震列島、原発の真実−」現代書館(2008年9月))。
 1、3号機では建屋上部で水素爆発が起こり、2号機では下部の圧力抑制室付近で起こりました。
 各号機の原子炉内の配管類、2号機の格納容器と圧力抑制室をつなぐ部分(ベローズ)の一部などが地震の揺れで破損し、そこから水素が漏れ水素爆発に発展した可能性があります(原子力資料情報室のUSTREAMでの後藤政志氏、田中三彦氏の見解、柏崎原発の閉鎖を訴える科学者技術者の会:「福島原発震災」をどう見るか)。
 使用済み核燃料貯蔵プールの水温上昇については、地震の揺れでラックが損傷し核燃料が相互に近づき冷却が阻害された可能性やプールの水が地震の震動で大きく波打ち水が溢れ出た可能性も指摘されています(原子力資料情報室)。
 このような断片的な情報だけでも、福島第一原発の重大事故には地震の揺れの影響があったことが分かります。

◆東電の想定を超えた地震の揺れ この過小評価を妥当とした国の審査
 原子炉建屋最地下階で観測された最大加速度(暫定値)が発表されました(4月1日、東電HP;4月2日朝日新聞夕刊)。2、3、5号機で観測された加速度は想定の約1.2〜1.3倍でした(暫定値ではなく正確な値が分かればこの値は大きくなるでしょう)。耐震設計審査指針の改訂(2006年)に伴う再評価で東電は想定値をそれまでの1.6倍にし、国はそれを妥当としました。しかし事実により「改訂審査指針」の根幹が崩れ去ったのです。
 上記の再評価の中間報告では、安全上重要な機器・配管系の一つである主蒸気系配管が地震によって受ける力は評価基準の85%に達しています(この値はもちろん「新品で欠陥の無い」配管を仮定しています)。上記の最大加速度(暫定値)から分かるように、今回の地震による力は明らかに基準値を超えていたのです。

◆「核の目撃者たち」が告発した「事故が不可避の欠陥原発」
 福島第1原発の1号機(主契約者、GE)は1967年9月に着工、1971年3月に運転開始されています(6号(主契約者、GE/東芝):1973年3月着工、1979年10月運転開始)。福島第1原発が建設され運転を開始していったまさにこの時代、1960年代後半から1970年代後半に、アメリカのGEで働いた原子力技術者がアメリカ製の原発を「事故が不可避の欠陥原発」と告発していました(レスリーJ.フリーマン著、中川保雄・中川慶子訳「核の目撃者たち」筑摩書房1983年、第9章)。これまで隠されてきた欠陥が今回の重大事故につながった可能性も否定できません。

◆規制当局と電力会社の癒着 人々を騙す「専門家」
 電力側と審査側の双方に同じ少数の「専門家」が関わっています。国と電力に迎合し国民を騙すことに貢献している「専門家」が原発の耐震性の評価を牛耳っています(明石郎昇二郎著「原発崩壊(2007年11月)」。
 物理学の分野では多くの学者・研究者が「核の平和利用」の名のもとに原発の推進に加担してきました。(山田耕作「原発を推進してきた物理学者の責任は重い」、市民科学研究室、http://www.csij.org/大震災について今思うことPart1)。
 「この程度の汚染牛乳や野菜を私は食べる」と放射線影響の「専門家」がマスコミで宣言しました。国際的には「国際放射線防護委員会」が科学的装いを凝らしてヒバクを人々に受忍させてきました(中川保雄「放射線被曝の歴史」技術と人間(1991年9月))。この分野の「専門家」の責任もまた重大です。

 今回の原発重大事故は、国家機関と電力会社が「安全」と宣言した原発耐震性が完全に破綻したことを示しました。関電が発表した津波対策などは、耐震性の根本的欠陥を隠す誤魔化しにすぎません。活断層群に囲まれた若狭の美浜原発は1967年から1972年にかけて着工され、1970年から1976年に運転を開始した老朽原発です。たとえ地震の規模が小さくても重大事故に発展しかねません。
 被曝労働なしには成り立たない原発を即時停止し、エネルギー消費を大幅に削減したうえでそれを再生可能エネルギーでまかなう道しかありません。(橋本真佐男)


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