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BSEの発生原因とリスク論
通信885号記事
消費者リポート第1297号2005年6月7日より記事転載
 青山学院大学理工学部化学・生命科学教授 福岡伸一さんの講演から抜粋

2005年4月16日、食の安全・監視市民委員会の第3回総会が行なわれ、記念講演としてBSEの問題を青山学院大学の福岡伸一教授にお話しいただきました。福岡さんは問題の本質をわかりやすい言葉で鋭く指摘され、最近のリスク論のおかしさにも言及されています。
  (消費者リポート編集部)
●安上がりの代用ミルク、スターターが問題
 生まれたばかりの哺乳動物の赤ちゃんというのは、外界に対する警戒網である免疫系が非常に不十分なので、自分の免疫系が完成する何か月か先まで、母乳によってお母さんの中にある免疫物質をもらい、自分を守りながら育っていきます。
 ですから、赤ちゃんの消化管というのは、そのように外に向けて無防備にセキュリティのレベルを下げて、窓を開いている状態なのです。
 実は、BSE (牛海綿状脳症)がここまで私たちに近づいてきたのは、このことと非常に重要な関係があります。
 BSE発祥の地イギリス、特にスコットランドと言えば、どこまでも緩やかな丘陵が続いていて、放牧された牛や羊がのどかに草を食んでいる、そんな牧歌的な風景を思い出しますが、実はそれは完全に観光客向けの風景でしかありません。近代畜産業は、牛にそんなのんきなことを許しません。
 牛の赤ちゃんは、生まれてほんの数日しかお母さんと一緒に居られません。なぜなら、お母さんのミルクは売るためのもので、子牛に与えてもお金にならないからです。子牛は数日で違う場所に移され、「スターター」といわれる代用ミルクで育てられます。
 問題はこのスターターですが、コストを押さえるために、できるだけ安い原料で作られます。では、安いタンパク源とは何か。それが、周りの牧場からケガや病気で死んでしまった牛や羊をかき集めた肉骨粉だったわけです。イギリスでは、この肉骨粉を水で溶いて、生後間もない子牛に与えましたが、実はその中に病気の羊のものが混じっていたのです。
 その当時、イギリスの非常に限られた地域の羊に、ごくまれにスクレイピー病がみられました。この病気は、限られた羊の身体の中に長い期間封じ込められていたわけですが、その死体が肉骨粉として牛に与えられたことにより、子牛がスクレイピー病原体をもらって、BSEになってしまったわけです。
 スクレイピー病原体にとって、子牛の身体の中に入っていくのは、文字通り赤子の手をひねるよりも簡単です。なぜなら、先ほど述べたように、子牛はお母さんから乳をもらうために、警戒網を全部開いているからです。
●スターターの原料肉骨粉の製造方法変更
 それがちょうど1985年くらいのことでしたが、この頃急にBSEが立ち現れてきた背景には、もうひとつ人為的な原因があります。
 肉骨粉を作るには、死体を煮たり、脂を抽出するために圧力をかけたり、乾燥させたりしなければならず、その熱エネルギーを得るために大量の石油が必要です。スクレイピー病原体はもともと非常に熱に強いのですが、当初の製法では高熱で処理していたため、一応不活性化されていました。
 ところが、70年代から80年代初頭にかけて世界的に石油危機が起き、80年頃には石油価格の高騰がピークを迎えますと、肉骨粉業者は石油を節約するために、煮る時間を短くしたり、乾燥させる温度を低くするなどして、肉骨粉を作るプロセスを簡略化したわけです。
 そうしたいわば手抜きをした結果、加熱が不十分なため、肉骨粉の中に危険なレベルのスクレイピー病原体が生き残ることになってしまいました。そのような肉骨粉が子牛に与えられ、5年ほどの潜伏期間を経て、一斉にイギリスに立ち現れたのです。
●BSEのすべての原因に人為的要因が関係
 話がここまでならば、これはイギリスだけの問題にとどまっていたはずです。ところが、世界各地がBSEに汚染されてしまった理由には、もうひとつ大きな人為的問題がからんでいました。
 BSEの発生を正式に認定したイギリスでは88年、国内での肉骨粉の使用を禁止しました。そこでイギリスの肉骨粉業者は、国内でだぶついた肉骨粉を今度は輸出しました。初めはフランスに、そしてフランスが禁止措置をとると、アジアやあるいは香港を通じていろいろな国に輸出していきました。それが現在、BSEが、この地球のほとんどの部分に広まってしまった大きな理由です。
 このように、実はBSEの発生と汚染拡大のプロセスには、何重もの人為的な要因が関係しているのです。このことを忘れてはならないと私は思います。

●リスクを負うべきは消費者ではない!
 食の安全の議論の中で、最近「リスク論」ということが言われるようになりました。リスク論とは、すべてのものにはリスクがあり、100%安全な食などないのだから、リスクの大きさを正確に見極めなさいという論法です。
 この場合のリスクの大きさとは、ありていに言うと死者の数です。04年のプリオン専門調査会では、BSE由来でクロイツフェルト・ヤコブ病になる人が現れる確率は、日本の人口1億2000万人のうち、今後0.1〜0.8人程度と見積もりました。
 つまりリスク論者に言わせると、フグ毒ですらいまだに年間5〜6人程度の死者を出しているのだから、BSEのリスクなど小さいものだということになります。まして、交通事故死年間8000人、自殺者年間3万人などに比べたら、非常に小さいと。
 しかし、こうした理論を、特に食の問題に持ち込むのは、非常に危ない考え方です。そもそも、どんなに少ないとはいえ、牛肉を食べて万が一でも死ぬかもしれないというリスクとは、いったいどこから来たのでしょうか。
 私は、リスクという言葉を単に「危険」と訳すから、ものごとが見えにくくなるのではないかと思います。BSEのリスクとは、ある日、道を歩いていたら宇宙から飛んで来た隕石に当たって死んでしまうということとは、まったく違います。このリスクとは、誰かがベネフィット、つまり利益を求めたがゆえに、それに不可避的に付随してきた損失です。だからこの場合、リスクは「損失」とか「損害」と訳すべきです。
 リスクとベネフィットは必ず表裏一体です。では、牛肉に含まれているリスクは、一体どのようなベネフィットと表裏一体なのでしょうか。
 それは、先ほど言いましたように、牛を早く肥育したりミルクをたくさん採るために、草食動物の牛に肉食を与え、あるいは共食いをさせた人たち、または肉骨粉を安く作るために手抜きをした人たち、あるいは危険な飼料とわかっていて輸入・輸出してしまった人たち、この人たちがみんなベネフィットを得たわけです。その人たちがベネフィットを抜いてしまって、いわばババ抜きのジョーカーのように、消費者のところにリスクだけがたどり着いている。これがBSEの構造なのです。
 ですから、そのリスクがフグ毒よりも小さいからといって、私たちがこれを甘受する理由はまったくありません。フグに毒が含まれていることは誰でも知っていて、しかし「フグは食べたし命は惜しし」と食べるわけで、「毒」というリスクと表裏一体の「おいしい」というベネフィットの両方を引き受けているわけです。
 しかしBSEの場合は、ベネフィットとリスクは非常に乖離していて、その間のプロセスは、消費者にはまったく見えません。そもそも、BSEとフグ毒を同列に扱えるわけがないのです。
 ですから、正しい食とは、プロセスができるだけ目に見えるものを食べるということで、実はBSEの問題も、結局はここにつながるのだと私は考えています。
    (まとめ 吉村)


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