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9/30京都 わいわいゲスト生産者からのメッセージ
オルター通信944号記事
生産者 あらいぶきっちんさんからのメッセージ 
あらいぶきっちん 福田ゆい さん C601コース会員 



実家の仕事を手伝って

 早いもので勤めていた会社を辞め、実家のある長岡京市に戻りあらいぶきっちんを手伝い始めて2年が経ちました。主人は私よりも先に手伝い始めたので、今年で4年目になります。
 子供の頃から毎日汗水流して働く両親の姿を見ていて「豆腐屋=大変な仕事」というのが頭にあり、私には絶対に無理!と思っていたので、まさか私がこうして豆腐屋をする事になるなんて夢にも思っていませんでした。
 もともと私も主人も全く食品と関係のない仕事をしていたのですが、2人の共通の夢として“いつかカフェがしたい”というのがありました。それをある時両親に話した所、賛同してくれたと同時に「豆腐屋の隣でカフェを開いたら?」という提案をしてくれました。これが私達夫婦とあらいぶきっちんとが繋がったきっかけでした。丁度その頃主人が仕事を辞めて時間があったのでアルバイトとして手伝うようになり、気がつけば3年が経ち、現在に至っています。
 私達としては「豆腐屋を継ごう!」と話し合って決めたという事もなく、また両親からも「継いでくれ!」と言われた事もなく、とても自然に、気づいたらここにいた、というのが正直なところです。今思えば“跡継ぎ”的な気負いもなく、少しずつ入っていけたのが良かったのかなあと思います。とはいえ、実際に豆腐作りを引き継いでいくのは主人ですので、文句も言わずこうして毎日頑張ってくれている事にとても感謝しています。


うちの豆腐はよそとは違う

 私の両親が「お豆腐屋さん」になったのは、私が小学校4年生の頃でした。開店当初は両親2人きりでしたので朝から晩まで働きっぱなしという印象でした。そのため今では考えられませんが、私も妹も朝少し早く起きておからをつめたり、厚揚げを揚げたりたりというお手伝いをしてから学校へ行ったりもしていました。当時は本当に家族みんなで一生懸命だったと思います。それでもその頃は私もまだまだ子供でしたので、両親の志などを知るよしもなく、いつも家に帰ると油のにおいがする事や、同級生に「トーフートーフー」とからかわれたりする事がただ単純に嫌で、「なんでお豆腐屋にならはったんやろう…嫌やなあ」と思う事もありました。
 でも漢然と「うちの豆腐はよそとは違う」という認識だけはありました。というのも、うちは昔から他のお家とはいつも“少し違って”いたからです。お弁当はいつも茶系で、ご飯も白くないし、おかずも赤いタコさんウインナーなどは入りません。体操服などは他の子よりも少し黄ばんだような色をしていました。今ではとても理解できますが、小学生の私にとってはとても嫌だったのを覚えています。
 あれから20年。今ではこだわり続けて“他とは違う”を貫き通している両親をとても誇りに思っています。やはりそれは簡単ではないと思うからです。楽をしようと思えばいくらでもできます。でも楽な方に流されるのではなく、あえて手間ひまかけて昔からの作り方でやってきたからこそ20年もの間皆様に支持していただけているのだと思いますし、私達も自信を持ってお届けする事ができるのだと思っています。


ようやく両親の所に近づけたかな

 昨年の11月に産まれた長男には沢山の食物アレルギーがあります。食について改めて考え勉強し始めた時、母が沢山の本を貸してくれました。どれも年季の入った本達ですが、その本を読みながら、ようやく私も両親の所に近づけたかなと思っています。
今はまだ母乳だけですが、こうして安心して食べられる食品がすぐ近くにあるという事は、息子にとっても幸せな事だなあと思っています。オルターさんに感謝です。(※)
 今は子育てとお豆腐屋だけで精一杯ですが、いつか初めに夢見たカフェができるように、そしていつまでも安全で安心そしてもちろん美味しいお豆腐をお届けできるように頑張っていきたいと思います。


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